パパ×エンジニア×趣味の部屋

3歳の男の子と0歳の女の子を持つ二児のパパ。 育児をしつつ、製造業の設計職として働きながら、趣味のギターや英語やお金などの勉強中。 妻からのススメでブログ初挑戦。

仕事という言い訳

共働きの夫婦の間で、自分の時間を確保するための最も有効な言い分は何か??

それは『仕事』です。

『仕事』で早く帰れないから早く帰った方がたくさん家事をする。

『仕事』で疲れているからゆっくりさせてほしい。

などなど、仕事を理由にすれば許されるもしくは仕方がないなと思ってしまう雰囲気があります。

では仕事中は本当に仕事のことしか考えていないのかというと、全くそんなことはありません。

休憩したり、同僚と喋ったり、スマホを見たり、結局仕事と言いつつ自分の時間を確保していますよね。

別に休憩するなとか喋るなと言っているわけではなくて、仕事を不可侵な領域と捉えずに、仕事の時間も含めたTime Managementを夫婦でしていくことが必要ではないかなと思います。

Life Work Integrationですね。

電話があったことだけ伝えてほしいという伝言

会議などで席を外していて、自席に戻ってみると「〇〇さんから電話がありました。電話があったことだけ伝えてほしいとのこと」と伝言メモが置かれていることがたまにあります。

折り返してほしいとか、またかけますとか、メール見ておいてくださいとかならわかります。

電話がありましたよって言われたところで、ああそうですか。で??って感じですよね。

何て無意味なコミュニケーションかと思います。

特に仕事では明快なコミュニケーションを心がけたいものです。

メールで仕事を依頼した後、フォローさせられることの無意味さ

会社で、メールで人に仕事を依頼することがよくあります。

期限を設けて依頼するのですが、期限を過ぎても返信が無い場合には再度メールを送ったり、電話で状況を確認したりする必要があります。

 

これが本当に嫌いです。

フォローするのが心苦しいとかそういうことではなく、相手がきちんとメールを確認して期限までに返信してくれれば発生する事の無かった仕事であり、その分、自分の時間が無駄に奪われるからです。

社会人の最初の教育で言われる「メールしても相手が読んでくれているかわからないから、電話で確認しましょう」も同じことで、みんなちゃんとメールを読んでくれって思います。

電話の方が好ましければ、最初から電話しますからね。

返信が来ずにフォローの電話を入れると「ああ、ごめん。見てなかった。」の一言で済まされることがよくありますが、相手に時間を浪費させていることをもっと自覚してほしいです。

メールを送信する側は簡潔で依頼内容が明確なメールを送ることが責務だと思いますし、受信する側は受信したメールにきちんと目を通して、漏れなく自分のAction Itemを把握する仕組みを作り、対応する責務があると考えています。

 

実際、メール全てに目を通さない人は大勢いるので、現実問題としてはフォローまで含めた形でスケジュールを組まざるを得ないですけどね。

子育て等で毎日早く帰るために、こういった面でもみんなの意識を変えていく必要があるなと思った次第です。

何故、男性は育休を取得しないのか??

『女性社員のキャリアを考える』という目的で、子育てしながら働く男性社員として、会社の女性社員からインタビューを受けました。

 

インタビュー自体は子育てしながらの日々の働き方だったり、妻の仕事や産休・育休・職場復帰の様子等、一般的な内容だったのですが、色々と話していて気付いたことがありました。

 

女性が育休を取る前提で話をしているが、何故、男性(自分)は育休を取得していないのか??

それは結局、男性(自分)のわがままなのだと。

制度としても整備されていて、世の中で育休取得している人がいる中で、それを取ろうとしていないということは、ハッキリ言えば「育休を取らずに働かせてほしい」という自分のわがままを妻に押し付けているだけなのではないかと。

自分の気持ちを優先しているにも関わらず、何となく世の中がそうだという流れに乗って、なあなあにしているだけだなと思いました。

反省です。

 

※家に帰ってから妻に謝って、働く許可をもらいました。

人類の歴史から考える男女の役割分担の境界の曖昧化

平成も終わるというのに、まだまだ男性は仕事、女性は家庭みたいな昭和的な価値観は残っています。

男女平等に関して世界の中で日本はかなり遅れており、海外メディアでもひどい書かれようで、見ていて悲しくなります。

それでも少しずつ日本も変わってきているなと思います。

 

何故、昔から男女の役割分担があったか。近年、それがなぜ変わってきているか。

考えてみると、それは仕事(= 収入を得る手段)の内容が変わってきたからだと思いました。

狩猟の時代、仕事は狩りであり身体的に考えて男性の方が向いていたでしょう。

肉体労働の時代、同じ理由で仕事は男性向きだったと思われます。

そして現代、身体ではなく頭を使う仕事が多くあり、女性がたくさん活躍しています。

結局、これまでの仕事が肉体を使うものであったが故に男性が優位であっただけで、仕事の内容が変化しているにも関わらず、昔のイメージまま止まっているのではないか?

頭を使う仕事に関しては、得手不得手はあるにせよ、男女どちらの能力も同じで、その境界は曖昧になってきているのではないか?

 

たいそうなタイトルをつけてしまいましたが、昔々に思いを巡らせてみて、そんなことを感じました。

仕事の海に溺れないように

最近仕事が忙しく、立ち止まっていると仕事の海に溺れてしまう感覚に陥っています。

まるでダイラタンシー流体の上で走っているかのような感じです。

(ダイラタンシー流体についてはコチラ↓)

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1401/13/news007.html

 

自分は忙しい時でも「子どもと触れ合える時間には家に帰ると決めること」が大切なことだと考えています。

理由は以下2点です。

・精神を健全に保つことができる

・仕事の無駄を削ぎ落とし、洗練された働き方をせざるを得なくなり、さらなる生産性の向上が図れる

 

長い長い仕事人生の中で短期的な爆発力で勝負するのではなく、心と身体を健全に保って限られた時間で成果を出し、長く社会に貢献して、価値を生み出し続けることを目指す方が、家族や会社や社会全体にとってハッピーなことだと思っています。

 

無理しない範囲で、でも足の回転をできる限り早くして溺れないように、しばらくは走り続けます。

(無理な時はもちろん無理って言います。)

パパは仕事で子どもになかなか会えない社会

テレビのインタビューなどで、「平日、ほとんど子どもたちに会えなくて、子どもたちには寂しい想いをさせてしまっている。」という人が結構います。

会社もしくは仕事という悪者のせいでパパは毎日遅いけど、しょうがないよねと家族全員がその状況を受け入れている構図。

パパ自身も家族とたくさんの時間を過ごしたいのに、誰か・何かのせいでできない、自分の力ではどうしようもできない。

 

これってとても不幸なことだなと思いました。

多くの人が子どもたちともっと遊んであげたいと思いつつも、みんながそれを我慢し合う社会ですよね。

 

もちろん色々な仕事があるので、そんなこと不可能だと言われるような職場もあるとは思いますが、我慢し合うのではなく、それぞれがサポートし合うことによってみんなの願望が叶えられる社会であってほしいと思っています。

 

まずは仕事の取引先でも飲食店の店員さんでも、誰しもがビジネスパーソンであると同時にどこかの家族の一員であり、それを尊重するという、『他者への想像力』を持つことが必要ですかね。

一方的に要求するのではなく、お互い家族との時間を大事できるように、一緒に効率的に進めましょうよって仕事ができるといいですね。

 

ちょっと理想論的ですが、テレビを見ていて悲しくなったので、書いてみました。